小学校の頃  ー満里の身体の様子ー

 

満里が小学校1年生の時

登校中に転んで膝に擦り傷を作りました。

 

普通、小学校の子どもが、転んで怪我をするなんて

珍しい事ではないと思います。

 

傷口は小さく、私達は軽いケガだと思っていました。

 

学校で応急処置をしてもらっていたので

自宅で消毒だけはしていました。

 

その2~3日後、膝の傷が治りかけた頃

満里は「インフルエンザ」に罹って

1週間学校を休みました。

 

 

インフルエンザが治った頃のことです

 

満里は

「歩くと太ももの付け根が痛い」と言い始めました。

 

運動したり打撲したわけでもないのに・・・何で??

 

原因が分からずにいましたが

 

「もしかしたら、この場所はリンパじゃないのか?」と祖父が気付き

「何か、大きな病気だといけないから」と、すぐに整形外科へ通院しました。

 

 

膝の小さな擦り傷から

化膿した膿が太もものリンパにまで転移していて

危険な状態になっていました。

 

私たち夫婦は、整形外科の先生に呼ばれて

「どうしてこんなになるまで気づかずに放っておいたんですか?」と強い口調で叱責されました。

 

すぐに県病院へ緊急入院して

2週間の抗生剤投与治療が始まりました。

 

また、抗生剤です・・・・。

 

「何で、ただの擦り傷からこんな大変なことになってしまうんだろう・・・??」

 

自分の子どもの頃の経験からは想像できない事態でした。

 

 

ただ 漠然と

「満里は普通の子よりも免疫力が弱いな。」という感覚はありました。

 

 

私は、満里が乳幼児の頃からずっと

「満里の身体を強くしなければ。満里の身体を鍛えなくちゃいけない。」と

そんな気持ちがありました。

 

小学3年生からは水泳を習わせました。

鼓膜のチュービングが外れたからです。

 

「何か運動をさせて、身体を強くしなければ。」という焦りと

「水泳は喘息の治療にも効果がある、って言われているから・・。」

という期待があったからです。

 

陸上での運動は苦手でしたが

水泳は好きだったので楽しんで続けてくれました。

 

 

水泳を始めた頃から喘息はなくなりましたが

鼻炎と中耳炎は それからも繰り返し起きました。

 

抗アレルギー剤、抗生剤はほとんど途切れることなく

日常的に飲んでいるという状況でした。

 

こうした、「何となく調子が悪い」状態が長く続くというのは

満里にとって 本当に辛かっただろうと思います。

 

 

そして、「調子が悪い」状態が日常的になると、

感覚が鈍くなって、身体の変化に気づきにくくなる。

 

満里の身体はそんな状態だったように思います。

 

 

そして、小学校4年生頃からは、少しずつ皮膚に症状が出るようになって

今度は、頻繁に皮膚科へ通うようになりました。

 

 

皮膚科で処方されたのは飲み薬の「アレジオン」と

「プロトピック+ヒルドイドソフト」の混合軟膏で

特に症状が強く出ていた「背中」や、「手首」「ひじ」「ひざの裏」によく使っていました。

 

薬がなくなってしばらくすると 手首、ひじ、背中全体がカサカサして皮が剥けて

手首やひじをかきむしるようになります。

 

「薬をちゃんと塗りなさい!」

「薬がなくなったら、すぐに教えなさい!」

 

 

症状が出てくると つい、娘を叱ってしまいます。

「どうしてちゃんと薬を塗らなかったの?」と叱っていたのです。

 

 

放っておくと だんだんひどくなるので

慌てて病院へ行きました。

 

「親の責任として病院に連れて行かなければ。」

そんな気持ちが、いつもありました。

 

 

病院の薬を塗ると 1~2日できれいに治まります。

皮膚がきれいになると「ほっ」と安心する

薬がなくなるとまた皮膚が荒れる・・・。

その繰り返しでした。

 

病院の先生からは「薬がなくなる前に来てください。」とよく注意を受けていました。

 

「薬を続けていれば良くなる。ひどくならないように

きちんと病院にいかなくちゃいけない。」と思っていました。

 

 

漢方薬でアトピーの治療を始めてから

満里が小学校の頃に感じていた本音を

話してくれたことがあります。

 

 

「病院のお薬(プロトピックの混合軟膏)を塗ったら

背中がすごくヒリヒリして 熱くて気持ち悪くて全然、眠れなかった。」

 

「だから、アイスノンとかクールパットとかずっと当てて寝てた・・・。」

 

「でも、病院でもらった薬だし・・・・ちゃんと塗らないとお母さんすごく怒ったし・・・

熱いって、言えなかった・・・。」と

 

私に怒られるのが恐いから「ヒリヒリして嫌だ」とは言えず

満里はずっと我慢して塗っていたそうです。

 

「そうだったんだ・・・気付いてあげられずに、本当に、ごめんね・・・。」

私は、心の底から申し訳なさと

気が付かなかった自分への悔しさと

「あんなに、必死で病院通いしていたのに・・・。」という空しさで

いっぱいになりました。

 

親として正しいと思ってきたことが裏目に出ていたなんて・・・。

 

今思えば、確かに、小さいころから寝つきの悪い子でした。

出掛けたり、運動したりして疲れているはずの日でも

夜になっても目が冴えています。

 

本を何冊も読み聞かせても眠ってくれない・・・。

冬でも「暑い 暑い」と言ってアイスノンを使ったり

 

足の裏をもんだり、マッサージしたり

アロマをたいたり、照明を変えてみたり・・・

 

呼吸法をさせてみたり
オルゴールの音楽をかけたり・・・・

ありとあらゆる工夫をしていました。

 

 

「もしかしたら病院の薬の副作用だったのかな・・・・?」と思いますが

 

この頃の私は、病院でもらう薬が

満里の身体にこんなにも影響しているとは

思いもよりませんでした。

 

それに・・・。

何が原因だったのか

もしかしたら、他のストレスだったかもしれないし

今となってはよく分かりません。

 

ただ、食事を「よく噛んでゆっくり食べる」事や

「油っこいもの、甘い物、動物性たんぱく質を控える」ことは

意識したことがなかったので

「食事」の摂り方や「食事の内容」が

満里の症状に影響していたのではないかと感じています。

 

※小学校の運動会のお弁当  揚げ物や味の濃い食事が多かった頃

 

 

小学校の頃 -満里の「こころ」の様子ー

 

小さいころから病院通いが多かった満里は

“外で友達と思い切り遊ぶ”という経験もあまりできない子どもでした。

 

友だちが遊びに来ても

「ごめんね、風邪ひいていて今日は遊べないの。」とか

「ごめんね、これから病院に行かなきゃならないから・・・。」といった状況でした。

 

運動はどれも苦手で、ドッジボールや駅伝大会など

子ども会のスポーツ行事に参加しても

 

「足手まといになるから行きたくない・・・・・。」

「ドッジボールで同じチームになった子から『ゲー』って言われた・・・。」

そんな事をぼそっと話したこともありました。

 

 

その一方で、本を読むことは大好きでした。

学校ではおとなしく 自分から友達に話しかけられるタイプでは

ありませんでした。

 

「今日、満里は学校で一人ぼっちじゃないだろうか・・・。」と

いつも、その事が一番の気がかりでした。

 

お薬の影響なのか、精神的なストレスなのか

原因は分かりませんが

 

小学校3年生の時 5時間目の授業中に

大量に嘔吐することが 何度かありました。

 

「汚い、触るな。」と言われたり

同級生から「つままれたり」

「仲間外れにされる」ような事もありました。

 

 

色々な事が重なって

小学校の頃の満里は “自信を持つこと” が難しかったように思います。

クラスの中で自分から手を挙げて発表をしたり

発言するということがほとんどない子どもでした。

 

 

満里の「身体」と「心」をどうしたら強く出来るんだろう・・・。

これは、私の大きな課題でした。

 

「どうしたら、満里は健康になれるんだろう・・・・。」

「どうしたら満里は自分に自信を持って、積極的に話せるようになるだろう・・・・。

一体どうしたら良いんだろう・・・。」

 

いつも、いつも、迷い、悩み、答えを探しながら子育てをしてきました。

 

私は、仕事柄、カウンセリングの勉強をしていましたが、

出産前に思い描いていた「理想の子育て」「理想の母親」からは

程遠い毎日を送っていました。

 

いつも、悩みの中に居ながら、毎日、職場と家と病院の往復で

バタバタと日常に追われている生活でした。

 

色んな本も読み、満里が「良くなる」為の方法を探していました。

 

原因は母親の私自身なのではないか・・・。

 

「私自身がもっと変わることで、満里も笑顔で“心が強く”生きられるようになるのではないか・・・。」

そんな思いもあり 東京のコーチングスクールに通いました。

 

病院に通いながら、心の勉強もしながら

出来ることは全力でやっているつもりでしたが

満里のアレルギー症状は一向に改善しませんでした。

 

 

そして、小学校の卒業式を間近に控えた冬

またまた「インフルエンザ」に罹った事がきっかけで

私たちは「大きな転機」を迎えることになりました。