理念・代表経歴
キャリアエンカレッジコーチ 河本 典子の使命
キャリアエンカレッジコーチ
河本 典子の使命
働く女性が、自分の価値に気づき、
“幸せ体質”を育てながら、
自分らしく誇りを持って、
楽しく生きていけるように。
その一歩に、勇気を届け、
そっと背中を押し続けること。
それが、私の使命です。
– プロフィール

キャリアエンカレッジコーチ
河本 典子
大手印刷機メーカーに29年勤務。海外営業に17年、企画・管理に10年、役員秘書に2年従事。女性管理職比率が3%に満たない会社で、管理職を10年経験。
後輩女性の道を自分が潰してはならないと自らプレッシャーをかけ、がむしゃらに働き続けるも、48歳のとき後任男性課長のサポート役として降格。苦手業務で半人前扱いされる不遇を経験し、評価されない側への理解が深まる。個性の取り扱い方を間違うと人材が揃っていても、組織が活性化しないと確信し、コーチング(個人・組織)・メンタリング・ポジティブ心理学・リーダーシップ開発と知見を深める。
管理職に復帰し、複業コーチを3年経験後、2023年に独立。 自分の人生に諦めが見え始めたアラフィフ世代の女性に「人生後半戦を消化試合にしないでほしい」と切に願い、ご自身の力で幸せな未来に向かっていくサポートをしている。
コーチ・研修講師として活動する一方、地域活性化プロジェクトにも参画している。
国際コーチング連盟アソシエイト認定コーチ ACC /
SIY(Google開発のリーダーシッププログラム)認定講師
NYLB認定ポジティブ心理学コンサルタント / AFP
<ストレングスファインダー>
1.成長促進 2.個別化 3.共感性 4.ポジティブ 5.調和性
<VIA>
1.好奇心 2.向学心 3.希望 4.大局観 5.リーダーシップ
– ロゴに込められた意味

・学びをインプット・アウトプット
・人が交流する
人との繋がりは人生を豊かにし、心も温かくする
・全ての経験はあなたを輝かせる無敵のスター
河本典子の生い立ち
のびのび、でも不器用な子ども時代
神戸生まれ。須磨の海岸を歩くのが大好きな少女でした。
「お姉ちゃんだから我慢しなさい」とよく言われて育ち、甘えるのが少し苦手に。
小2から高2までピアノを習いました。
半年間は紙の鍵盤で練習を続け、念願の本物のピアノを買ってもらえた時の嬉しかったこと!
習字で初めて表彰されたとき、評価されたのは大きくのびのび書けたこと。
低学年までは大人しかったのに、なぜか高学年は生徒会役員をするくらい、積極的な子供になっていました。
ドッジボールの試合に出ているのが全員役員の子供だと気づいたのが、私の人生で最初に感じた「理不尽」でした。


コツコツ継続、体験でも学んだ学生時代
その積み重ねで、米国の姉妹都市に派遣されるまでの英語力を身につけました。
最初のホームステイ先では、辛いことが続き、わずか3週間で4キロも体重が減少。
でも、状況を案じた別の家族が私を救い出してくれ、その大切なご縁は今も続いています。
大学受験では、国立大学を目指すも共通一次試験で大失敗。
人生で初めての挫折に大泣き。私立大学の試験初日は母に付き添いを頼むほど、自信を無くしていました。
弟とは違い、私は大学は実家から通うのが条件。
留学も大反対されましたが、それが“男尊女卑”ではなく、父なりの深い愛情だったと、後になって気づきました。
大学では、男女混合の名簿に感動。
けれど就職活動では、同じ大学・学部でも 「女性だから」という理由で対象外にされるという、また別の「理不尽」に直面します。
20代:会社員生活のスタート
アジア営業部に配属された年の瀬、忘年会で愛想よく創業社長にお酌していた私は、年始から秘書室所属に。
社内政治など、サラリーマンの苦悩を垣間見て、父が長年、家族のために背負ってきた苦労が少しわかった気がしました。
秘書へ異動したのは仕事を覚える前だったので、学生時代から希望していた海外の人と働く夢が諦めきれず、異動願を叶えてもらい、アジア営業部で再出発。
まだ仕事に余裕があった20代は、フラワーアレンジメントにシルバーアクセサリー、英会話と、習い事三昧の日々。 30代を前に、女性社員の“見えない天井”にも気づき、初めての転職活動に踏み出しました。


30代:成長と葛藤のはざまで
財務管理、出荷計画、営業支援など会社経営の全般に関わり、現地メンバーとチームとして働けることが醍醐味でした。欧州営業部を離れる際、「現地のことを一番効率的に考えてくれる担当者だった」「一番悲しい日になった」とコメントしてもらえたことは今でも誇りです。
その後、商品企画部へ。
製造・開発・営業・子会社の間に立ち、 調整役としての手腕を磨きました。
社長賞を8度受賞した中で、
一番嬉しかったのは、工場から推薦された業務改革での受賞。
「現場に認められた」ことが、何よりの誇りでした。
女性として初めて幹部候補研修に選ばれても、直属上司から渡される仕事は秘書的業務ばかり。
後輩男性が先に昇進していく姿を、複雑な思いで見送りました。
FPやシスアドなど資格を取ることで、公平な評価を得られる納得感を得ていた気がします。
30代も前半と後半で2度転職活動しましたが、最後に動く勇気が出ませんでした。
40代:リーダーとして、そして転機来たる
30代10年で7回だった海外出張が、毎年5、6回に増えました。
「女で大丈夫か」と言われながらも、ようやく管理職に昇格。
「自分が失敗したら、後輩女性の道を閉ざしてしまう」と自分に不要なプレッシャーをかけ続け、鎧をまとってガムシャラに働きました。
けれど、「女性は支える側に」と後輩男性管理職のサポート役として降格。 それでも前向きな姿勢を見せようと今後のアドバイスを仰ぐと上司からは「媚びがない」。
心が折れそうでしたが、これがきっかけとなり、2011年の会社の研修から気になっていたコーチングを学び始めます。
1年後には管理職に復帰。
以前は「やるべき」にこだわっていた私が、一人ひとりの個性を活用し、チームで成果を上げることを重要視するようになりました。


50代:会社員卒業 新たなキャリアを切り拓く
コロナ禍で、週4回通っていたスポーツジムが閉鎖。
空いた時間は、自然とコーチングの学びをさらに深める時間へと変わっていきました。
これまで出会えなかった、年齢に関係なく向上心あふれる人たち、自分の信じる道をまっすぐに進む、魅力的な先輩方との出会い。
彼らに刺激を受け、私の中に「コーチングにもっと専念したい」という思いが強くなっていきます。
「海外の人と仕事がしたい」という学生時代からの夢は叶い、十分やりきった!
副業でコーチを続けて3年が経った頃、そう気づき、私は独立を決意しました。
独立後は、ポジティブ心理学、メンタリング、リーダーシップ開発(Search Inside Yourself)、
組織コーチングなど、知識の幅をさらに拡げ、一人ひとりの価値を、組織や社会の成長に繋げていくことを目指して、コーチ・研修講師として活動を続けています。